チョコレートの歴史
チョコレートの歴史
古代メキシコ―カカオ豆から飲むチョコレート(?)へ
チョコレートの歴史をさかのぼると、紀元前2000年頃から見受けられるようです。当時、古代メキシコでは、チョコレートの原料になるカカオ豆は「テオブローマ」(神の食べ物)と呼ばれ大変貴重なものとされていました。
食べ始めた頃は、このカカオの実の中にありチョコレートの原料となるカカオ豆を覆っている、周りの果肉や繊維の部分を食べていました。それがどのように、カカオ豆からチョコレートにいたることになるかというと、それは偶然によるものでした。その偶然とは、山火事でした。この山火事が起こったときに、カカオ豆の良い香りと味を知るようになったのです。その後カカオ豆を焼き、すりづぶして食べるようになりました。この頃から、栽培されるようになったようです。
カカオ豆は薬として飲まれるチョコレート(?)へ
16世紀の初めメキシコで、アステカの皇帝モンテスマがチョコレートを飲みはじめたといわれています。アステカ文明は高地で栄えた文明。豊富な鉱物と植物、そして宗教や経済、自然科学といったあらゆる分野で発展を遂げた文明です。
当時はお菓子というより、薬として扱われていました。カカオ豆をドロドロになるまで すりつぶした飲み物を「エクソコアルト」と呼び、これは とうもろこしの粉やバニラ、トウガラシなどのスパイスを 加えたもので相当苦く、不老長寿の薬とされ、アステカの皇帝モンテスマは 黄金のカップで1日に50杯も飲んでいたそうです。
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この「エクソコアルト」は大変高価なもので、 原料のカカオ豆はアステカ族の通貨としても使われ、カカオ豆4粒でかぼちゃ一個、 10粒でウサギ一羽、100粒で奴隷が1人買えた値段に相当するほどだったとか。
チョコレート、スペインへ!
ヨーロッパ人がチョコレート(カカオ)に出会ったのは、コロンブスがアメリカ大陸を発見した1429年と言われていますが、あまり価値がないと思ったのか持ち帰ることはありませんでした。
その後、チョコレート(カカオ)全世界に広まるきっかけとなったのは、メキシコに遠征したスペインのフェルナンド・コルテス将軍がアステカ帝国を征服した際にチョコレート(カカオ)の効用に驚き、兵士たちに与え、疲労回復をさせたことです。(こちらには1519年説と1521年説有り)
コルテスは当時アステカ族が、 チョコレート(カカオ)と薬草を混ぜ合わせることで、不老長寿、疲労回復だけでなく、 歯痛、喉の炎症、赤痢、胃潰瘍、食欲不振、解熱、毒消しなど さまざまな病気の治療に目をつけ、スペイン国王カルロス一世に献上しました。1528年の出来事です。
メキシコでもとても高価だったカカオの輸入は、スペインでも非常に高価なものでした。しかも多くの効用のある秘薬であったため、約一世紀の間、一般大衆はおろか他国へ広まることもありませんでした。
チョコレート、スペインから発信!
スペイン王フィリップ2世の娘、アンヌがフランス国王ルイ13世に嫁いだときの花嫁道具のひとつにカカオが入っていました。これが1615年頃だったようです。
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そしてその後、スペイン王室からルイ14世の元に嫁いだマリア・テレジアも花嫁道具の中に、カカオが入っていました。彼女は大のチョコレート好きで、チョコレートを作る道具一式とそれを扱って彼女好みのチョコレートを作る、チョコレートコックを連れて行きました。
その他のルートではスペインとフランスで、当時階級の高かった僧侶たちによる交換されたプレゼントでした。その他、スペイン圏で飲まれていたカカオの秘法がアントニオ・カルレッティというイタリアの商人によって、1606年にフィレンツエにもたらされ、そしてフランスへと伝わったともいわれています。
そして、徐々にヨーロッパ全土に広まることになります。またその効能は広く知られ、 医薬品として、当初は薬屋で売られていたほどでした。一般大衆に届くようになるには、長く年月を要しました。ヨーロッパ各国で現在のチョコレートといわれる食べものになるまでに、発展そして開発されてきました。こちらについてはまた、国別で書き加えていきたいです。
チョコレートが受け入れられるまで
日本人で初めてチョコレートを食べたのは、伊達政宗の命令で1617年頃にスペインに渡った支倉常長の一行と言われています。そして日本にチョコレートが伝わったのは、江戸時代オランダ交易で栄えた長崎でした。
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その後の1873年、日本でもチョコレート製造が始まります。1871年に岩倉具視一行はフランスはパリでチョコレート工場を視察したのに始まります。その後の1899年、11年ぶりにアメリカから戻った、現在の森永製菓の創始者である森永太一郎が、東京は赤坂に洋菓子製造所を設立します。1918年(大正7年)には、初めてカカオ豆からチョコレートに至るまで一貫して生産するようになりました。
チョコレートが日本に持ち込まれた当時は、ヨーロッパでそうであったように、一部の上流社会の人々によって食べられていました。また、お菓子としてではなく、薬として扱われていたようです。日本にはなかった色合いや味から、はじめはなかなか普及しなかったようです。
その後、開発は進み1878年(明治10年)に米津風月堂が、ハイカラなお菓子としてチョコレートを「猪口令糖」を書き表して紹介。これにより、一般大衆に普及されます。
チョコレートとバレンタインデー
第二次世界大戦が始まり、カカオ豆の輸入が止まり生産が停止しますが、その後チョコレート作りの技術は発展し様々な商品が開発されました。一般の人々にも食べられるようになり、チョコレートは多くの人々に愛されるようになります。
1936年、イタリア・ウンヴリア州テルニ市に伝わる風習「バレンタインデー」を日本に始めて紹介したのは、大正時代にロシアから日本の神戸に亡命してきたフィヨドル・ドミナリー・モロゾフ。ご存知、あのMORZOFFです。モロゾフのチョコレート事業は、日本のチョコレート業界においてとても重要な意味を持っています。 愛情の形をチョコレートにして、2月14日のバレンタインデーにプレゼントをする習慣ができたのです。
近年、チョコレートは回帰する?
チョコレートがお菓子として定着してしてきました。そしてチョコレートは甘いもの、と言う概念も定着していました。しかし これはチョコレートをさらに美味しくいただくため、食べやすくするためか砂糖がふんだんに使われているためです。当初は身体に良い、いろいろな効能があるとして珍重されていたチョコレート、これでは悪役に代わってしまいます。賢い皆様はもうお分かりだと思います。砂糖の摂取量を控えればよいだけのことです。
そのためかどうだか分かりませんが最近では、カカオ含有量の高いそれ程甘くないチョコレートが作られています。そして色々なスパイスと混ぜ合わされて、カカオの味を楽しめる傾向がきています。カカオ含有量が高い点や、スパイスと組み合わされる点など、昔チョコレートができる以前の形に似ていると思いませんか。
様々な病気の原因の活性酸素を抑制すると言われるポリフェノールが多く含まれていることが発見されるなど、またまた遠い昔のように効用の高い薬のようですね。上手く取り入れて、チョコレートは美味しくいただきたいです。
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