2012年3月31日土曜日



そういえば確かに町の海岸南側には、どこの村でも見かけるような墓地があった。

早速、その場所へ行ってみると、あったではないか。巨大な十字架が。
ここで文献によれば、十字架は以下の人間が建てたとされている。

ヨハン・フルティンは、1998年9月、ふたたびブレイビング・ミッションを
訪れた。ベーリング海峡の冷たく泡だつ海に面した荒涼たるツンドラの平原で、
彼はその銘板を十字架に貼り付けた。


この十字架の下は永久凍土であり、
72名のスペイン風邪犠牲者が眠っているらしい。

十字架の前に立つ私は無性に、
この十字架を建てたヨハン・フルティンのことが気になった。

なぜ、ヨハン・フルティンという人間がこの十字架を建てたのか?
その理由がここで分かることになる。文献を元に以下に説明しよう。

2012年3月29日木曜日


1. 先生はどんな感じでお子さんを叱っていましたか。感情的になる方ですか、それとも諭すような感じですか。
  答:授業中も、話しましたが、私は、子どもをほとんど叱ったことがありません。というより、叱る必要がなかったといった方がいいのかもしれません。2歳くらいの時から、約束(ルール)と我慢ということを教えるようにしました。その後は、子どもは、目を合わせるだけで、しても良いことかどうかを判断するようになりました。声に出して言わなくても、いけないことは判断していたのだと思います。

2. 本の中で、父親にできることの記述がありました。確かに子どもを産んだ母親には父親は及ばないかもしれませんが、最近では母親が働きに出て、父親が専業主夫をするという家庭も増えています。本の中での役割を逆転することはできないのでしょうか?
  答:もちろん、逆転はあると思います。この本の著者は、多くの場合、母親が中心になって育児をしているということを前提としていると思います。しかし、30年も前なら、父親が子どもを叱ることの役割を持っていましたが、今は母親になっていることは前提としているようです。

3. 先生はご家庭の中で、何か夫婦で役割を分担して行っていることはありますか?またそれを始めたきっかけや動機は何でしたか?
  答:基本的には、分担でなく、"家事は一緒に"ですが、結果として、分担になっていることもあります。しかし、その分担は、場合によって交替出来ることを前提としています。ですから、基本的に分担ではありません。私は、夫婦での分担は、間違っていると思います。

4. 子どもを真剣に競争させるためには、何が必要ですか?
  答:私は、子どもを競争させることには反対です。もし、競争させるとしたら他者との競争ではなく自分自身との競争、すなわち、自分の出来たことよりも、少しでも出来るようになったという状況での競争は良いと思います。

5. 心理を学ぶなら、大学院はどこがおすすめですか?
  答:そうですね。どのような心理学を勉強して、どのような仕事に就きたいかによって大学院も違ってきます。研究者をめざし、それも、世界レベルの研究者になりたいのであれば、日本よりもアメリカの大学院がいいと思います。しかし、日本でも、研究が十分出来ると考えた場合は、その研究領域によって、大学院での得意不得意があります。さらに、博士課程には行かずに、修士だけで終わって就職したいと考える場合は、特に、その後にどのような場面で働きたいかによって異なるとおもいます。

6. 五月病って本当にあるんですか?あるとしたら、どうやったら治りますか?
  答:新年度の4月に始まった、新しい生活に適応しようと張り切って期待したものの、5月くらいになるとゴールデンウィークもあり、やる気を失って、落ち込んでしまうことを5月病と行っています。そのようにならないためには、4月から自分の持続できる範囲で仕事をして行くことが一番いいののですが、落ち込んでしまった時には、4月に目標にした課題を半分以下に減らして、コツコツと地道に仕事をしてゆくのが一番いいと思います。あまり、はりきって無理な課題を自分に課すのでなく、少しずつやって行きましょう。

7. 先生はやる気がないなぁと思うとき、どんな手段で気分転換をしていますか?
  答:一応、いろいろ考えていますが、まあ、酒を飲んで、寝るのが一番だと思っています。つぎは、何か身体を動かすことをします。プールに行ったり、チャリにのったり、冬はスキーに行ったり、夏は日曜大工をしたりします。基本的には、無理にでも、身体を動かすことをすると元気が出てきます。

8. 先生にはおすすめの記憶方法はありますか?あったら是非、教えてください。
  答:まあ、あなたのレポートに書いてあったようなことが多いのですが、その他には、何か、思い出に残るようなこと(感動するようなこと)と結びつけると、憶えています。

2012年3月27日火曜日


イギリス旅行をする外国人は、飲んだビールのアルコール度数を確認するようになるかもしれない——。

ビール醸造世界最大手のアンハイザー・ブッシュ・インベブ(ベルギー)は、英国内で販売する「バドワイザー」、「ステラアルトワ」、「ベックス」の三銘柄について、アルコール度数を5パーセントから4.8パーセントへと引き下げる方針を固めた模様だ。
原料コストとエネルギーコストの上昇を、その理由としている。


2012年3月24日土曜日


動物用ワクチンの出来るまで 動物用ワクチンの出来るまで (04/04/18)

はじめに

 ワクチンは病原体そのものあるいは病原体の分泌物でつくられ、それらを体の中に入れあるいは感染させ、病気に抵抗する力(免疫)を作らせるものです。

 ワクチンのはじまりは、ジエンナーが天然痘の予防のために、牛痘のウイルスを人に与えて免疫を作らせたのが最初です。その後パスツールが家禽コレラと炭 その生菌(病原性を弱めて生きたまま使用する)ワクチンを、また狂犬病の生ウイルスワクチンを作りました。さらにその後細菌とかウイルスの不活化(殺し た)ワクチン、それらの一部分を利用した成分ワクチン、不活化(無毒化)した毒素のワクチン等が続々と開発されてきました。

 日本ではいろいろな動物が飼育されていますが、ワクチンを必要としている動物には、家畜としては牛、馬、羊、やぎ、鶉、アヒル、七面鳥と鶏、コンパニオ ンアニマルでは犬と猫がいます。これらの動物は多数飼育されており、病気が流行すると被害も大きくなるため、あらかじめ免疫をつけさせておくことが必要に なるためです。

 ワクチンは開発しても勝手には売り出せません。農林水産省に製造承認申請書を出し、認可を得て初めて、製造し、市販することが出来ます。ワクチンは申請 書にのっとり製造され、製造されたワクチンは自家検査し、さらに国家検定を受け、安全性と免疫効果の確認された後に、市販されることになります。その後実 際に使用されたワクチンは副作用の有無を調査され、発現した場合にはその原因から対策まで届け出なければなりません。副作用の強い場合には許可されたもの でも承認が取り消されます。また製造施設はGMP基準(医薬品の製造管理と品質管理に関する基準)に適合し、また試験して出された成績はGLP基準(医薬 品の安全性に関する基準)に適合したところでだされたものでなければなりません。このようにワクチンには幾重にも規制が加えられ、問題の起こらないような 仕組みのもとで製造、販売がなされています。

 動物を死亡させ、生産性を著しく阻害するもの、また発見が遅れて重症化するもの、治療費が大きくなるような病気に対して、これを予防するためにワクチン が開発されています。あらかじめワクチンを投与しておくことで抵抗力を高め、感染したときの被害を最小限度に食い止めることが目的です。家畜用のワクチン は畜産物の生産のための必須な資材と考えられています。そうは言っても病気が発生していないとき、家畜自体の価格が低い場合、さらに生産物(乳、肉、卵さ らに加工した畜産物など)が安くなると、経費を安く上げるために、使われなくなる傾向もあります。

 現在まで開発されているものあるいは輸入されているワクチンは牛用で22種類、馬用で6種類、豚用で43種類、鶏用で58種類、犬用で14種類、猫用で 8種類、魚用で6種類あります。

1.ワクチンの開発

 ワクチンは動物を治療できないか、出来ても費用のかかる場合、また家畜では畜産経営上経済的に大きな影響を与える病気に対して開発されています。ワクチ ンの開発には莫大な経費と完成までに長い時間がかかります。開発の大略を述べると次のようになります。

 病気が流行した場合経済的損失の計算を行ない、また一方では病気の研究を進め、どんな予防法をとれるのか検討されます。予防の必要な病気と判断されて、 初めてワクチンの開発が開始されます。

 まず不活化ワクチンか生ワクチンのどちらを開発するのか考慮されます。開発するワクチンの種類で検討する項目が異なってくるためです。一般には不活化ワ クチンでは、病原体をそのままか、部分的に精製するくらいで製品化する(あまりに手がかかり、経費のかかるものでは価格が高くなるので使用されない)の で、期間的には短くてすみます。一方生ワクチンではワクチン株を弱毒化するために時間がかかるため、かなり長期間かかります。

2012年3月22日木曜日


チョコレートの歴史


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古代メキシコ―カカオ豆から飲むチョコレート(?)へ

チョコレートの歴史をさかのぼると、紀元前2000年頃から見受けられるようです。当時、古代メキシコでは、チョコレートの原料になるカカオ豆は「テオブローマ」(神の食べ物)と呼ばれ大変貴重なものとされていました。

食べ始めた頃は、このカカオの実の中にありチョコレートの原料となるカカオ豆を覆っている、周りの果肉や繊維の部分を食べていました。それがどのように、カカオ豆からチョコレートにいたることになるかというと、それは偶然によるものでした。その偶然とは、山火事でした。この山火事が起こったときに、カカオ豆の良い香りと味を知るようになったのです。その後カカオ豆を焼き、すりづぶして食べるようになりました。この頃から、栽培されるようになったようです。


カカオ豆は薬として飲まれるチョコレート(?)へ

16世紀の初めメキシコで、アステカの皇帝モンテスマがチョコレートを飲みはじめたといわれています。アステカ文明は高地で栄えた文明。豊富な鉱物と植物、そして宗教や経済、自然科学といったあらゆる分野で発展を遂げた文明です。

当時はお菓子というより、薬として扱われていました。カカオ豆をドロドロになるまで すりつぶした飲み物を「エクソコアルト」と呼び、これは とうもろこしの粉やバニラ、トウガラシなどのスパイスを 加えたもので相当苦く、不老長寿の薬とされ、アステカの皇帝モンテスマは 黄金のカップで1日に50杯も飲んでいたそうです。